肥前名護屋城探索その1

肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会の田中さんの案内の元、肥前名護屋城を堪能してきました。

城めぐりの前に、名護屋城博物館で知識を蓄え、タブレット端末を借りました。

入館料およびタブレットは無料です。

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観光案内所から坂をのぼり、すぐに見えるのが城のかげ溜池。

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そして大手口から東出丸を望む坂でタブレットをかざすと、この通りCGで再現された肥前名護屋城を見ることができます。

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こちらは登板坂の左手の石垣。

割普請された跡がはっきりとわかりますね。(真ん中あたり雑です)

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肥前名護屋城は一国一城令によって人為的に破却されました。石垣にその名残を見ることが可能。大坂城に匹敵する規模の縄張りを持つ城で、ここまで破却された当時の面影が残っている城はまれ。当時を偲ぶことができる貴重な城だと思いました。

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このようなくさびを打った跡は随所に見られます。グッときますね。

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本丸大手門はタブレットのARを押すと、記念撮影ようのフレームになります。

こちらは伊達政宗が仙台青葉城の大手門として移築したのだとか。残念ながらこちらは第二次世界大戦で消失。肥前名護屋城の近くの道の駅に、当時の写真が展示されています。

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天守台跡と、天守台横の崩れた石垣。ファンタジーのような光景。天守は唐津城に一部移築されたとのこと。

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個人的に大ヒットしたのは天守台から見下ろした遊撃丸。ここに使者を迎え入れたということですが、そびえ建つ天守の真下。絶対威嚇するマンじゃないですか~!!しかも喰い違い虎口。これは恐ろしい…

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肥前名護屋城は天守の位置が変わったとのこと。はじめは本丸から北の、馬場を見下ろす位置にありました。旧石垣は埋められていたそうです。遊撃丸の位置関係、海からの見え方から察するに、より秀吉の威光を示すに相応しい位置に移動したのではないかと想像できます。

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井戸もしっかり石垣が組まれてますね。中にはこんなにも大きな石垣があります。

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二の丸には合坂という階段状になった石垣があります。登ることも可能。

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搦め手も侮ることなかれ!絶対敵入れないマンな喰い違い虎口がすばらしいです。

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肥前名護屋城の石垣はほぼ野面積みで角が人為的に破却されていますが、搦め手側には算木積みが見られました。

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馬場の崩壊した石垣の中に、くさびが折れたまま放置された石垣を発見。

これはめずらしい!

豊臣秀吉は天守の横に山里曲輪をつくり、普段はこちらで茶や能を楽しんでいたのだとか。そちらについては別の記事にて。

地元の方に真田幸村の墓と言われている「サエモンサマ」についてはこちらの記事をどうぞ。

↓真田幸村が肥前名護屋城に滞在した期間も登場する4コマ漫画『ふぅ~ん、真田丸』もどうぞ!


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