出版から1ヵ月、嬉しい報せが………!
『ふぅ〜ん、真田丸』 重版が決まりました!
初めての単著、大好きな真田、そして重版…それもこれも皆様のおかげです!
ありがとうございます。
重版に合わせ、ちょこっと修正しました(内容の修正はありません)
まだ読んでないよという方、この機会にぜひ!
内容紹介
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で中世軍事考証を担当する著者の書き下ろし最新刊。
「日本で最初の武家政権である鎌倉幕府は、決して簡単にできあがったわけではありません。
そこには、たくさんのドヤ顔と、苦労と、涙がありましたーー」(「はじめに」より)
そんな「武士の時代」の始まりを、楽しく、わかりやすく読めるよう、イラストやマンガも豊富に収録。
当時の戦い方や武具についての詳しい説明も著者ならでは。「鎌倉殿の13人」がより面白くなる一冊です。
Contents
巻頭カラー企画…「鎌倉殿を探しに来てみた! 」
エピソードI…天国と地獄<保元・平治の乱と平家の世>
エピソードII…新しい希望<頼朝の流人生活から挙兵>
エピソードIII…進撃の頼朝
エピソードIV…機動戦士・義経<源平の戦い>
エピソードV…鎌倉幕府の戦い<奥州戦役と幕府の確立>
エピソードVI…鎌倉を継ぐもの<頼朝の死と権力闘争>
エピソードVII…王家の逆襲、そして…<実朝暗殺と承久の乱>
出版から1ヵ月、嬉しい報せが………!
『ふぅ〜ん、真田丸』 重版が決まりました!
初めての単著、大好きな真田、そして重版…それもこれも皆様のおかげです!
ありがとうございます。
重版に合わせ、ちょこっと修正しました(内容の修正はありません)
まだ読んでないよという方、この機会にぜひ!
1回目の放送後、はかなくて美しい様子から「悲劇のヒロイン…!」と話題を独占した武田勝頼。ドラマでは描かれませんが、最後の夜はこんな感じで雑魚寝していたのではないでしょうか…!? という妄想の一枚。
そして小山田信茂も、ログアウト…
以下、NHK大河ドラマ『真田丸』戦国軍事考証の西股総生先生のワンポイントの引用。
ちなみに『甲陽軍鑑』によれば、勝頼一行が最後の夜を過ごしたのは普通の民家、主従十数人での雑魚寝だったらしい(;_;)
西股総生先生のワンポイント講座の全文はこちら
ブログ=http://ameblo.jp/team-nawabaring
fb=https://www.facebook.com/teamnawabaring/
『真田丸』2回目、視聴しました。
勝頼自刃。武田家滅亡。真田家は小県領主として独立の道を歩むため、
上杉でも北条でもなく、敵であった織田家に臣従する選択をしました。
拙著『ふぅ~ん、真田丸』でも、昌幸は堂々と織田につくと宣言しています。
生きるために最善の選択をする、そんな真田家の強さを垣間見ることができる回でした(そして家族漫才も面白かったです)
というわけで『真田丸』ワンポイント2回目でした。
大河ドラマのおともに、『ふぅ~ん、真田丸』もぜひどうぞ!
肥前名護屋城周辺の大名陣跡に、真田幸村の墓かも!?と言われている「サエモンサマ」なる史跡がある…という情報を聞きつけ、行ってきました佐賀県。
「サエモン」とは真田幸村(信繁)の官命「左衛門佐(さえもんのすけ)」のことなのでは!?というわけです。
肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会の田中さんの案内の元、まずは肥前名護屋城を堪能(こちらは別記事にて)。
そしてサエモンサマとご対面です。
真田昌幸の陣跡の裏山をずんずんと登っていく田中さん。
ちょっとわかりづらいところにあるので、のぼりを立てる予定だそうです。
肥前名護屋城のすぐそばの道の駅にも行き方を記した地図がありますので、行かれる際はチェック!
これが地元の方に「サエモンサマ」と呼ばれているお墓です。特に文字が刻まれてはいませんが、近くの塔に「寛永十年」(1633)と彫られているとのこと。
地元の方は真田幸村のお墓だと思っており、お彼岸にはお供え物をして供養しているのだとか。
肥前名護屋城を巡るついでに、「サエモンサマ」に手を合わせてはいかがでしょうか?
↓ゆる~~い「サエモンサマ」が登場する4コマ漫画『ふぅ~ん、真田丸』もどうぞ!
肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会の田中さんの案内の元、肥前名護屋城を堪能してきました。
城めぐりの前に、名護屋城博物館で知識を蓄え、タブレット端末を借りました。
入館料およびタブレットは無料です。
観光案内所から坂をのぼり、すぐに見えるのが城のかげ溜池。
そして大手口から東出丸を望む坂でタブレットをかざすと、この通りCGで再現された肥前名護屋城を見ることができます。
こちらは登板坂の左手の石垣。
割普請された跡がはっきりとわかりますね。(真ん中あたり雑です)
肥前名護屋城は一国一城令によって人為的に破却されました。石垣にその名残を見ることが可能。大坂城に匹敵する規模の縄張りを持つ城で、ここまで破却された当時の面影が残っている城はまれ。当時を偲ぶことができる貴重な城だと思いました。
このようなくさびを打った跡は随所に見られます。グッときますね。
本丸大手門はタブレットのARを押すと、記念撮影ようのフレームになります。
こちらは伊達政宗が仙台青葉城の大手門として移築したのだとか。残念ながらこちらは第二次世界大戦で消失。肥前名護屋城の近くの道の駅に、当時の写真が展示されています。
天守台跡と、天守台横の崩れた石垣。ファンタジーのような光景。天守は唐津城に一部移築されたとのこと。
個人的に大ヒットしたのは天守台から見下ろした遊撃丸。ここに使者を迎え入れたということですが、そびえ建つ天守の真下。絶対威嚇するマンじゃないですか~!!しかも喰い違い虎口。これは恐ろしい…
肥前名護屋城は天守の位置が変わったとのこと。はじめは本丸から北の、馬場を見下ろす位置にありました。旧石垣は埋められていたそうです。遊撃丸の位置関係、海からの見え方から察するに、より秀吉の威光を示すに相応しい位置に移動したのではないかと想像できます。
井戸もしっかり石垣が組まれてますね。中にはこんなにも大きな石垣があります。
二の丸には合坂という階段状になった石垣があります。登ることも可能。
搦め手も侮ることなかれ!絶対敵入れないマンな喰い違い虎口がすばらしいです。
肥前名護屋城の石垣はほぼ野面積みで角が人為的に破却されていますが、搦め手側には算木積みが見られました。
馬場の崩壊した石垣の中に、くさびが折れたまま放置された石垣を発見。
これはめずらしい!
豊臣秀吉は天守の横に山里曲輪をつくり、普段はこちらで茶や能を楽しんでいたのだとか。そちらについては別の記事にて。
地元の方に真田幸村の墓と言われている「サエモンサマ」についてはこちらの記事をどうぞ。
↓真田幸村が肥前名護屋城に滞在した期間も登場する4コマ漫画『ふぅ~ん、真田丸』もどうぞ!
いよいよ始まったNHK大河ドラマ『真田丸』。
1話目は武田家滅亡カウントダウンな内容でしたね。
勝頼がカッコいい…ゆえに悲しみもひとしお…
住み心地重視で普請した新府城。武田勝頼がここで迎えた正月はたったの一度きりでした… 真田昌幸は勝頼を岩櫃城に迎え武田家の再起を図るつもりでいましたが、事はそううまくは運ばないのです。
ちなみに新府城の櫓にあった竹束、気がつきましたか?私は軍事考証をされている西股先生から聞いて気がつき、今まさに2回目を見て確認しています。
竹束は『ふぅ〜ん、真田丸』では大坂冬の陣に登場しています。
これ。
逆茂木に気をとられて見落としそうになりましたが、細かいところにも考証が行き届いてますね!
以下、雑感。
徳川家から盗んだ軍馬で駆け抜けた幸村が、のちに徳川を追いかける側になるんだなぁ…伏線沢山ありましたね!
「武田は滅びるぞ」のくだりの昌幸の手のひら返し、たいへんよかったです…表裏比輿はダテじゃない!
そして勝頼の後ろには「諏訪大明神」…
北条氏政は茶漬けを食べ(多分汁を2回以上かけてる)
そして家康は爪を噛む。
「真田太平記」のオマージュも沢山みられました(くるみが置いてあったりとか)
2回目以降にも期待が高まります!
大河がもっと面白くなる、ワンポイント解説、以下のサイトにもっと詳しく掲載しております。
というわけで『真田丸』ワンポイント1回目でした。
大河ドラマのおともに、『ふぅ~ん、真田丸』もぜひどうぞ!